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日本の大学が抱える問題点:高学歴ワーキングプア [社会]


高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

  • 作者: 水月 昭道
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/10/16
  • メディア: 新書



博士号はとったけれども就職がない。そういった事態はなぜ引き起こされたのか?悪いのは誰か?そういった疑問に挑んだのが本書である。
私の考えは、後でも書くように、大学を偏差値だけで選ぶ愚かな風習と、日本独自の知識をバカにする愚かな態度が合わさってできているところが大きいと思う。
本書はいろいろなことを考えさせられる、新書としてはかなりできのいい作品である。


【目次】
第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程
第2章 なぜか帳尻が合った学生数
第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか
第4章 大学とそこで働くセンセの実態
第5章 どうする?ノラ博士
第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院
第7章 学校法人に期待すること 


まず、現実の状況としては博士号取得者の数が増えているが、それと同時に大学教員の非正規化も進行しており、教授・准教授・講師・助教といった大学の研究職に就くことのできる博士が減少している。
そして、それらの職からあぶれた博士はほかに仕事もなく、ワーキングプアとして、大学院の非常勤職員をやったり、ひどい事例になるとフリーターやスロットのプロといった博士号とは何の関係もない職業に就いたりする。
この事実だけでも、知らなかった人には衝撃である。

そして、筆者はこれを少子化に備えて、政府と大学が結託して大学院重点化政策を打ち出し、若者をカモとして博士課程に進ませたことが大きな原因であると主張する。
この点については、背景としてはそういった事情もあるかもしれないが、私の意見は若干違う。
そこで、私が考える高学歴ワーキングプアの原因を以下に主張させてもらう。

1.本人の責任
本書において筆者は本人の責任はほとんど無いように書いているが、私はそうは思わない。
私が大学時代に感じたことだが、(母校の)教授になるには文字通り、「10年に1人の逸材」である必要があると言うことだ。私は他の大学の教授ポストを考えていなかったから実際はもっと楽だろうが、大学教授になるよりはどこかの役所の事務次官になる方がよっぽど楽だろう、とは学校の友達とよく言ったものだ。当然私も教授を目指そうとは思わなかった。
大学の常勤職員を目指すのは、ミュージシャンを目指そうとするような物で、好きなことをやって行こうとするのだから金銭的に恵まれた生活を望むのは過信か贅沢と考えるのが普通だと思う。ある意味、ワーキングプアは覚悟の上であるべきだ。
いい年して、知識もある人がそういった選択をしておいて世間が悪いというのは、虫がよすぎるのではないかと思う。

2.知識をバカにする態度
筆者も言うように日本には「博士はつぶしがきかない」と言った理由で敬遠されることが多い。
これの一因は、日本では勉強ばかりしてきた人は人間的に問題があると理由もなく考える人が多いこととも関連するように思われる。
冷静に考えると本人の知識と人間性は何の関係もないし、私の経験ではある程度学のある人と話している方が不快な思いをすることは圧倒的に少ないのだが、なぜか、日本では勉強のできる人は人間的に問題があったり、頑固だったりすると言う偏見がある。この悪弊が博士の就職を妨げている原因の一つだと思う。

これはマスコミの高学歴者に対する、コンプレックスに満ちた悪意ある報道が原因か、学生紛争でろくに勉強もしなかったけど時代に恵まれて社会的に成功することのできた団塊世代の特殊な経験を、団塊世代が勝手に一般化して、俺ルールとしてほかの世代に押しつけているのが原因だとは思うのだが。

3.日本の雇用慣行
日本の会社では専門家はあまり求められない。
これも「博士はつぶしがきかない」と敬遠される理由であるが、日本の会社では何でもできる人が求められる。社会人をやっている人なら理解されることだとおもうが、言われたことに対して、どんなにつまらないことでも「それは私の仕事ではありません」と言うと怒られたり、評価を減らされたりすることが多い。

たとえば、経済学の博士を経理部で雇っても、営業部の手伝いでプレゼン資料を作ったり、新たなシステムの評価をさせたりするようなケースは容易に想像がつくのではないだろうか。これに、ISO9001だとか、ISMSだとか、カイゼン活動だとか、業務に関連するけど業務の効率を落とすことの多い活動もくっついてくる。
こうした現状では専門家として博士を雇っても、専門以外のことも多く求めるため、結局割高になってしまう。

余談だが、業務がはっきりとしない、こうした現状は、成果主義・人材流動化がうまくいかない原因にもなっていると思う。

4.学校選びが偏差値に偏っている
今の学生の多くは学校を偏差値で選んでいる。本書でもそうした現状が描かれている。
しかし、教育の価値を偏差値で選ぶことはよくよく考えてみると何の価値もない。本来、消費者が教育を選ぶ際には支払った学費と教育の結果得られる物が釣り合っているかどうかを考えるべきだ。
米国でMBAをとるに当たっては、2年前後の教育期間で支払う学費と、卒業後に給与がどれくらいアップするかを考えてペイするかどうかを考える人は多いはず。
日本の大学で博士号をとる場合や、学資の4年間を過ごすに当たってもそうした考えを持つべきだ。この場合に評価の元になる価値というのはお金だけではないけれども、貧しい生活をしたくない人はお金的な評価をするべきだ。

ちなみに、金銭だけを考えると日本の大学の博士課程は全く価値がない。学費を払っても卒業後の収入アップは望めないからだ。おそらく最高クラスの東大・京大あたりの博士課程でも、大企業の研究所に教育機関としての価値は負けている。

5.お金を蔑視する風潮
これは筆者にも見られるが、日本ではお金を卑しい物としてみたり、お金の話をすることをはばかったりする風潮が強い。
これは、全く無意味なことで、幸せに生きていくためにはお金は必要不可欠だ。お金の問題を考えないようにしているから高学歴ワーキングプアになって、お金で苦労するのだ。

お金のことを蔑視する態度は今の日本が不況のどん底にあって、豊かな国ではなくなってきているのにそれを直視せず、自然だ芸術だと浮かれている原因にもなっていると思う。結構根深く深刻な問題だ。


以上のように、いろいろなことを考えさせられる良書である。新書の割には内容も濃く、思い込みだけで書いている部分も少ないので快適に読むことができる。
☆☆☆☆(☆四つ)


他のBlogの反応はこちら等。
(賛同の意が濃いエントリ)
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=27
http://matton.blog91.fc2.com/tb.php/65-e8a5242a
http://blog.livedoor.jp/sheep_tmc/archives/51361739.html
http://d.hatena.ne.jp/saisenreiha/20071017/1192632128
http://ftopapa.blog.ocn.ne.jp/dokusyo/2008/08/post_4430.html
(ニュートラルな評価)
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/cdb4d507b73a474321eb94c77dd8f7b2
http://blog.seesaa.jp/tb/104841409
(その他関連エントリ)
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/12/post_c956.html

ここではあまり取り上げませんでしたが、結構活動家らしき人のエントリが多く見受けられるのにびっくりしました。私個人は一般のワーキングプアとここで言う高学歴ワーキングプアは若干問題の所在が異なると思っているのですが。






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森田博士の戯言

高学歴ワーキングプアや博士号取得者いわゆるポスドクが就職できないことが問題とされることが多いが、私自身は自業自得、自己責任だと思う。

そもそも、若いうちに就職せずに進学して博士号を取ることは自分で決めたことであろう。強制されたのであれば問題だが。博士であろうが博士でなかろうが、自分の決断は自分で責任を取る、大人として当然のこと。

それを社会や制度の責任と考えるような高学歴者・博士はそもそも甘えというもの。森田博士の戯言。
by 森田博士の戯言 (2017-09-23 10:19) 

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